陸前高田&すみた産業祭り~遠野まごころネットMission3(5)

10/30 遠野総合福祉センター~陸前高田市~すみた産業祭り~遠野総合福祉センター

前回の続き)

この記事には被災地の写真が掲載されています。ボランティアによる被災地の写真撮影は、被災した方々の心情を考慮して原則として禁止されています。しかし、今なお震災の深い傷跡の残る被災地の様子を伝えるために、許可を得て撮影しました。写真を見た方は今一度、何かできることはないか考えてみてください。

111030まごころネット求人まごころネットでは、いろいろなボランティア求人の中から自分でやりたい作業を選べる。ガレキ撤去のほかに、被災した方々の話し相手になったり、憩いの広場を整備したり。ガレキ撤去の求人はホワイトボードに書き出されている。
 私の復興支援ボランティアの原点、陸前高田市のガレキ撤去欄に自分の名前を書く。


111030川の駅よこたに並ぶボランティアバスバスを連ねて陸前高田市に向かう。ガレキ撤去を希望する個人参加ボランティアは、今日はなんと、たったの20数名しかおらず、全員合わせても陸前高田に行くバスの一台を埋めることもできなかった。


111030川の駅よこた横断幕途中、休憩によった川の駅よこたには、保育園児による横断幕が掲げられていた。ここに来るまでにも、道路の沿線や公共の建物に同じような横断幕や看板が随所に掲げられている。そして、ボランティアのビブス(ゼッケン)をつけて道を歩いていると、通りがかった人に「ありがとう」と声をかけられる。


111030陸前高田のサンマの残る森

今日の現場は5月から6月にかけて「サンマ隊」が活躍した場所。水産物の倉庫が津波で押し流され、船や家屋のガレキに混じって大量のサンマが散乱していた。ボランティアたちがガレキを乗り越え、大量の蝿や猛烈な腐臭と戦いサンマを回収した。

平坦な場所ではサンマもガレキも片付けられているが、山の斜面の杉林は震災の日から手付かず。ビニールやプラスチック容器が杉の幹に絡まったり、地面に半分埋まっている。それら掘り出し回収する。と、時としてガレキと一緒に、白い虫がびっしりウニョウニョとうごめく、サンマだったものらしき塊を掘り出してしまう。見なかったことにして、あわてて埋め戻して土に帰す。

あたりには6月に牡蠣棚を片付けたときと同じ、ヘドロの臭いと腐臭が漂う。腐ったサンマが混じった泥が衣服につくと臭いが取れないので、全員、マスク、ゴーグル、ビニールの雨具、長靴、ゴム手袋などで完全に体を覆っている。なので気温は高くないものの、真夏のような暑さの中で作業しなければならない。

111030すみた産業祭り午前いっぱいで作業を終え、午後はみんなで陸前高田市の隣町、住田町で開催されている「すみた産業祭り」を訪れる。「産業祭り」と言っても物産展だけでなく、屋台などあって地域住民の交流のための祭りのようだ。地域の方々と交流するのもボランティアの大切な役割の一つ。


111030すみた産業祭りサンマのすり身汁ついさっきまでサンマのゾンビと戦っていたことをすっかり忘れ、出店で「サンマのすり身汁」を買う。サンマのつみれと野菜のしょうゆ味の汁。うまいね。このあと、鳥のつみれ汁、焼き鳥、…と食べれるだけ食べた。


111030陸前高田の看板再びバスに乗り遠野に戻る。陸前高田市の看板が目に入った。早くこの看板を立てたときのように戻れるといいね。


ボラセンに戻り今回のMissonはすべて終了。ささやかな自分への御褒美にボランティア参加者を対象としたお風呂&食事ツアー(水光園&伝承園で郷土料理)に参加した。そして遠野駅前から夜行バスに乗り、震災などなかったかのような平和な東京に戻る。ああ、でも戻ってそのまま仕事というのはボランティアより大変だ…

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