陸前高田&すみた産業祭り~遠野まごころネットMission3(5)
10/30 遠野総合福祉センター~陸前高田市~すみた産業祭り~遠野総合福祉センター
(前回の続き)
この記事には被災地の写真が掲載されています。ボランティアによる被災地の写真撮影は、被災した方々の心情を考慮して原則として禁止されています。しかし、今なお震災の深い傷跡の残る被災地の様子を伝えるために、許可を得て撮影しました。写真を見た方は今一度、何かできることはないか考えてみてください。
私の復興支援ボランティアの原点、陸前高田市のガレキ撤去欄に自分の名前を書く。
今日の現場は5月から6月にかけて「サンマ隊」が活躍した場所。水産物の倉庫が津波で押し流され、船や家屋のガレキに混じって大量のサンマが散乱していた。ボランティアたちがガレキを乗り越え、大量の蝿や猛烈な腐臭と戦いサンマを回収した。
平坦な場所ではサンマもガレキも片付けられているが、山の斜面の杉林は震災の日から手付かず。ビニールやプラスチック容器が杉の幹に絡まったり、地面に半分埋まっている。それら掘り出し回収する。と、時としてガレキと一緒に、白い虫がびっしりウニョウニョとうごめく、サンマだったものらしき塊を掘り出してしまう。見なかったことにして、あわてて埋め戻して土に帰す。
あたりには6月に牡蠣棚を片付けたときと同じ、ヘドロの臭いと腐臭が漂う。腐ったサンマが混じった泥が衣服につくと臭いが取れないので、全員、マスク、ゴーグル、ビニールの雨具、長靴、ゴム手袋などで完全に体を覆っている。なので気温は高くないものの、真夏のような暑さの中で作業しなければならない。
ボラセンに戻り今回のMissonはすべて終了。ささやかな自分への御褒美にボランティア参加者を対象としたお風呂&食事ツアー(水光園&伝承園で郷土料理)に参加した。そして遠野駅前から夜行バスに乗り、震災などなかったかのような平和な東京に戻る。ああ、でも戻ってそのまま仕事というのはボランティアより大変だ…
赤星山もおといこさんも地元で親しまれている山のようですね。調べてみたら行ってみた…