泥んこのガレキ運び~遠野まごころネット(2)
6/26 遠野駅~遠野総合福祉センター~陸前高田~遠野総合福祉センター
(前回の続き)
7時半から昨日と同じ朝礼。今日の参加者は昨日より若干減って100人くらいだろうか。
隊長が昨日と同じ注意を繰り返す(びみょ~に違うけど)。昨日はなんとなく聞き流したことでも、作業を経験した今では心に残ることも多い。
「あなたも私もすべての日本人がこの震災の被害者である。幸い直接被災しなかった私たちは復興の手伝いをすることができる。それは人のためにやってあげるのではなく、被災者である自分自身のためであり、自分のためにやらせて頂くのだ。」
「ガレキの撤去は6,7割進んだ。しかし、皆さん御自身が見たとおり、元の生活とは程遠い。我々がしている復興とは、ゼロからの出発ではなく、マイナスをゼロにする地道な作業だ。それも行政や重機に先んじている。だから、ガレキの撤去であれ、ガラス窓の拭き掃除であれ、炊き出しのお手伝いであれ、どんな仕事でも重要なのだ。余計な気負いは捨てて頑張って欲しい。」
などなど。隊長の激励を受けてバスに乗りこみ、バス3台で陸前高田に向かう。
よこた川の駅を出発した頃から雨が激しく降ってきた。隣に座っている大学生が、せっかくここまで来て作業しないで帰るのは嫌だ、と言っている。同感。
昨日と同じ現場に着いたときにはシトシトと雨が降っていた。とりあえずお昼まで作業することが決まり、身支度を整え上下雨合羽に身を包みバスを下りる。ちょど捜索を終えたばかりの警察の方々とすれ違った。お互いに「ご苦労さまです」と挨拶し、今、警察の方々が捜索していたガレキの山に向かう。
雨のせいで何もかもドロドロ。材木を滑って落としそうになるが、釘だらけなのでつかむのも気が抜けない。手袋も雨合羽もマスクもドロドロになり、水を飲もうと持ってきたペットボトルを手に取ると、ペットボトルの口もドロドロになっていた…
それでもみんなのテンションは下がることなく、黙々とガレキを片付けている。瓦運びでいい加減腰が重くなったな~と思ったとき、それを察して日本語を全く話せないアメリカ人が代わってくれた。
12時に昼休みの休憩。雨が強くなってきたので、とりあえずバスの中でお弁当を食べながら待機となった。ドロドロの雨合羽と安全靴を脱ぎ、バスの中でスタッフが手配してくれた豚の味噌焼き弁当を食べる。今日会ったばかりの人達と作業の話や本職の話で盛り上がる。ボランティア仲間とは不思議な親近感がある。
作業を続けたいという希望が多かったが雨が強いので、希望者のみ切りのいいところまで、最長2時まで、という条件で作業を行うことになった。体調の悪い方をのぞいて、皆、ドロドロの装備を身につけ外に出る。午後になって気温が下がっているようで、じっとしていると寒い。さっさと作業にとりかかり体を温める。
2時にはほぼ予定していた場所が片付き、みんなで泥をほじくり返して、木片やビニール、ガラスの破片を集めている。2時になってリーダーが終了のコールをしても、誰も手を止めようとしない。ついにはリーダーが「今手に持っているものだけを持って集まってください」と怒鳴った。みんな手がけた場所は完璧にきれいにして帰りたいようだ。
早めに切り上げたので、3時半には福祉センターに戻ってきた。まごころネットの代表が玄関に立っていて、バスを下りるひとりひとりにご苦労さまと声をかける。そして、先に帰っていたメンバーも、お疲れ様と声をかけてくれる。そして寝床の体育館に入ると「ボランティアを励ますボランティア」の方々が熱いコーヒーとお菓子を配ってくれた。雨と汗で冷たくなった体に沁みる~。
この後、全体ミーティングがあり、応募者の少ない花壇整備のチームリーダーが、大船渡で行っている花壇整備のボランティアがどんなに重要かを力説した。すごい説得力があり、みんなが思わず拍手をした。熱い人が多い。
ここには作業に当たっている自衛官の方々がたくさんやって来るので、洗い場争奪の熾烈を極める。
食事の後は、古民家を見学し、座敷わらしの昔話を聴いて福祉センターに戻った。
ビールを買って、10時27分遠野発の夜行バスに乗る。すべて終了。明日からはいつもどおり仕事。
私が見た陸前高田は復興とは程遠いものだった。ガレキが片付いてきていると言うが、実は、巨大な山にして積んでいるだけで、なにも減っていないように見える。家一軒のガレキを分別するのに40人で2,3日かかることを思うと、まだ気の遠くなるような作業が待っている。そして、未だ重機が入らず、人の手のみに頼ってガレキ撤去を行っている集落もある。
その一方で日に日にボランティアの数は減っているそうだ。直接の被害を受けなかった日本人は震災のことを忘れつつある。
明らかに、迅速な復興のために多くのボランティアが今、必要とされている。
このブログを読んでくれる人達の中には、登山をする人やバックパッカーがいると思う。そういう人たちにとって、災害ボランティアはとっつきやすいものだと思う。色々な設備が整った福祉センターは寝袋で寝るとは言え、山小屋や途上国のバッパーよりはるかに居心地がいい。遠野であれば、コンビニや食堂は営業しているので不自由はない。さらに、我々は、雨具を着て体を動かすのにも慣れている。速乾性の下着だって持っている。多少汚れたって平気だ。もし、体力に自信がなくても、写真洗浄や炊き出しのお手伝いの作業もある。
今回の地震では日本人すべてが被災者だ。復興支援は自らを支援すること。週末にボランティアに参加することは、週末に泊まりで登山に行くのと経済的にも時間的にもたいして変わらない。それだったら、ぜひ、登山1回分、旅行1泊分をボランティアに振り分けて欲しい。絶対に他では得られない貴重な体験となることを約束する。
ボランティアに参加できないのであれば、せめて、被災地は今なお復興には程遠いことを忘れないで欲しい。そして、今日も、見返りを求めず、ヘドロに手を突っ込んで黙々とガラスの破片を拾い集めている人達がいることを心に留めて欲しい。
(次回に続く)
赤星山もおといこさんも地元で親しまれている山のようですね。調べてみたら行ってみた…