仲間が来てくれた!~遠野まごころネット再び(3)
10/1 遠野総合福祉センター~陸前高田市~遠野総合福祉センター
(前回の続き)
この記事には被災地の写真が掲載されています。ボランティアによる被災地の写真撮影は、被災した方々の心情を考慮して原則として禁止されています。しかし、今なお震災の深い傷跡の残る被災地の様子を伝えるために、許可を得て撮影しました。写真を見た方は今一度、何かできることはないか考えてみてください。
「ボランティアが地元に帰って、自分の見たこと、聞いたこと、体験したことを周囲の人々に語るのが、帰った者ができる被災地のためのボランティア」
と言う、まごころネット代表の言葉に感動し、前回の参加のあと、知り合い4、50人くらいに声をかけた。その結果…今日、熱いハートを持った4人の山仲間が駆けつけてくれた!なんだかホッとするとともに仲間に感謝。(決して、私の強引な勧誘に断りきれなくなったわけではない…と思う…)
今日はみんなで陸前高田でのガレキ撤去に参加する。初めて参加する仲間に、津波によってすべてが失われてしまった場所を、体で感じて欲しかったからだ。
遠野から国道340号線に沿って陸前高田市に向かうと、市街に入る前にいったん道は丘を上り林の中を行く。そして道が平野への下りにさしかかると、突然、気仙川河口に広がる陸前高田市の平野の景色が開ける。そこで最初に目に入るのが、このおびただしい数の車両だ。
潰れ、ねじれ、ちぎれた原型をとどめない車を見て、仲間に、これは回収や運搬でこうなったのかと聞かれた。違う。なぜなら、前回来たときには、こんな車があちこちに転がっていたのだから…。テレビでは津波に浮かんで流される車の映像をよく見る。しかし、実際はもっと厳しいものだ。
陸前高田「奇跡の一本松」。
一本松の存在はテレビや新聞で知っていた。たくさんの映像や写真も見た。しかし、ここに来て、この風景の中に自分が入って、初めて「奇跡」の意味するものがわかったように思う。
泥を掘ると腐臭がする。このあたりには以前、海産物の倉庫があって、倉庫や船のガレキともに、冷凍してあったサンマが一面に散らばっていた。6月のはじめにここに来たボランティアは、悪臭やあちこち刺さる釘と戦い、漁船や家のガレキを乗り越えながら、腐ってびっしりと蛆がわいたサンマを回収したそうだ。
作業をしていたら、近所の方がレジ袋いっぱいのペットボトルのお茶を笑顔で差し入れてくれた。温かい笑顔だ。ありがたく頂く。でも、被災した方の温かい笑顔のすぐ下には、癒すことのできない深い悲しみや痛みがあることを忘れないように、と言うのがリーダーの言葉だ。
今ではここの大きなガレキは重機ですっかり撤去されている。左手の空き地では急ピッチで整地が行われている。この秋には運動会が行われるそうだ。
被災地に入ると感覚が鋭くなるような気がする。
失われてしまったもの、今なお失われつつあるもの、そして、取り戻さなければならないもの。いろんなことを考えながら帰途に着く。なんか帰りのバスがひとり反省会になっている。寝ちゃうことも多いけど…。
今日は仲間の車で、前回行ったお風呂(水光園)へ。ボランティアセンターのシャワーだけじゃなくて、やっぱり広いお風呂も必要さ。お風呂の後はスーパーで買い物、そして食事。最後にボランティアセンターに戻って仲間と飲む。ここでは節度を守って他の人に迷惑をかけなければ飲酒もOKである。
(番外編に続く)
赤星山もおといこさんも地元で親しまれている山のようですね。調べてみたら行ってみた…