嗚呼、青春のクイーンズタウン~ニュージーランド、ルートバーン・トラック(3)
11/20 オークランド~クイーンズタウン
(前回の続き)
シートベルト着用のサインが消え、デイバックを背負って後部ドアから外に出る。
日差しは強いが風は少し冷たい。そこには懐かしい景色広がっていた。
目の前には、ミニ穂高のようなリマーカブルがそびえる。ホームステイ先の窓から毎朝、朝日に赤く染まる雪をかぶったリマーカブルを見てから、学校に通ったものだ。
あれれ?そう言えば空港が広くなっているような…
あれれれれ!?ここは誰?わたしはどこ…?
免税店があるぞ?飲食店もいっぱいあるぞ!?
クイーンズタウン(QT)空港は、荷物のターンテーブルもない小さな小屋だったのだが…
当時、私は日記にこう書いている。
空港の建物を出て、カートで運ばれてきた荷物を受け取った。
風は冷たく乾いていた。空一面灰色の雲に覆われていたので日は射していなかったが、まわりの山々を見渡すことは出来た。
QTはNZ有数のスキーリゾートだと聞いていたので、一面の銀世界を想像していたが、飛行場にはもちろん、辺りの山にもほとんど雪はなく、褐色の低潅木に覆われているだけだった。
ただ、出迎えのおじさんが
「あれがコロネットピークだよ。」
と、指差した先には真っ白ななだらかな山が、茶色の山の向こうに姿を見せていた。
コロネットピークはQTを代表するゲレンデだが、今はもちろん茶色い丘だ。
空港の前にはターミナルができていて、そこからQT市内に向かうバスに乗る。車窓から外を眺めるが、道路沿いに建物が増え、交通量も10倍くらいに増えている。
と、突然、視界を横切る一軒の家を見て全ての記憶がよみがえった。ホームステイしていた家だ。場所も外観もほとんど覚えていなかったのだが、白い大きなガレージがあるその家を見た瞬間に全てを思い出した。記憶とは不思議なものだ。
折り紙を一緒に折ったあの男の子は今はもう大学生くらいだろうか。
バスはQT市街の中心部オコーネルズに到着。ショップやツアー会社は、この周辺にかたまっている。
オコーネルズの地下にはフードコートがあって、ここでNZオリジナルマック「Kiwiバーガー」を食べながらクラスメートとだべったものだ。ちょっとのぞいてみたけれど、「Kiwiバーガー」はなくなっていた。アジア系の若者がたむろしているのは昔と同じ。
今夜の宿に荷物を置いて、街に戻る。ただいま午後4時。今日はこれからが猛烈に忙しい。出発は明日の早朝なので、予約のリコンファームや登山の買出しを、店が閉まるまでにやってしまわなければならない。
おぼろげな記憶を頼りに街を右往左往する。あった、”Kiwi Discovery”だ。QTからルートバーン・トラックの登山口までのバスをWEB予約してある。
バス乗り場が分からなかったので、日本から3回くらいメールしたが返事はなかった。営業しているか不安だったが、ちゃんと営業している。
ここで、バスのチケットを受け取る。バスの乗り場はいくつかあるらしいが、この店の前から乗ることにする。
NZが世界に誇る(と私は思う)”Department of Conservation”(自然保護省)通称”DOC”。
NZに200以上あるというトレッキングルートの情報が手に入り、山小屋やサイト場の予約、アクセス手段の紹介など、トレッキングの全てがここに凝縮されている。
ルートバーン・トラックは、今の時期は山小屋、サイト場とも完全予約制だ。ここで、WEB予約したサイト場のチケットを受け取り、地図を買う。
ちなみに、NZではトレッキングと言わずに「トランピング」”tramping”という。NZの英語は、これ以外にも我々が学校で習う米語と微妙に違う。
この後、スーパー、酒屋(Shotover St.沿いにある)で食料を調達し、薬局(Rees ST.沿い)でサンドフライ(NZの恐るべきブヨ)の虫除けを買う。そして、Outside Sports(Shotover St.)でガスカートリッジを買う。
宿に戻って、登山用のパッキングをしながら荷物の確認。ところがアイスランドやアルゼンチンでは問題のなかった、EPIヘッド+現地ガスカートリッジの組合せが、ここでは機能せず(はまるけど火がつかない)、泣く泣くヘッドを買う。
バタバタと準備を終え、一息ついて懐かしい街を散策。ワカティプ湖の湖畔には、観光用の桟橋があり、おしゃれなカフェやレストランがならぶ。
ボーっと湖を眺めながら昔を思い出す。
私がQTに語学留学をしたのは、以前の会社に入社して3年目のときだった。日本から出たこともなく、なんとなく外国での暮らしにあこがれていた私は、上司に、たまっている有給休暇を全部使って語学留学するので、休暇をくださいとお願いした。困った上司は人事部に問い合わせたが、人事からの回答は、「前例がないので許可できない」だった。
あたりまえである。1ヶ月以上の休暇を認める会社が日本のどこにある?
しかし、若かりし私は逆切れして、上司に向かって、
「日頃から英語を勉強しろだの、グローバルな人材になれだの言うくせに、ひと月かそこらの語学留学さえ認めないとは何事だ。言っていることと、やっていることが違う。こんな会社から学ぶことは何もない。もう辞める!!」
と、言い放った。
そのとき上司は、
「学ぶことがないとは何事だ。上に立てば見えてくることもある。まあ、早まらずに待て。」
と言って、その場は終わった。
そして、上司は2ヶ月かけて人事と交渉し、私が、英語の勉強のために休暇をとること、そして、休暇をとったことは他言しないこと、を念書に記すことを条件に休暇の許可をとってくれた。
当時、私の会社はグループ企業含めて従業員10万人を軽く超える大企業だったが、私の上司は、病気以外の理由でひと月以上の休暇を部下に与えた初めての管理職になった。
会社がなくなった今も、この元上司には頭が上がらない。
平行に走る3本の通り、Shotover St.、Beach St.、The MallがQTの繁華街だ。ところによっては、渋谷の通りのように混雑している。
時間は18時をすぎているが、初夏のNZは日が長い。
ワカティプ湖を見下ろす丘に登る。
そこには、私の通った学校がそのままの姿であった。当時のまま、あまりにも何も変わっていなかったので、懐かしさのあまり、不覚にも涙が出そうになった。
通学初日の日記には次のように記されている。
学校はダウンタウンを見下ろす小高い丘の上にあった。
ホール(と言っても大きな窓と大きなテーブルがひとつ、椅子が幾つかあるちょっと広めの部屋)からはQT市街と深く蒼いワカティプ湖を眼下に一望でき、その向こうには雪を戴いたリマーカブルが悠然と構えていた。ここも微弱な暖房で寒い。
今日から学校に通う新入生は(俺はかなり古びた新入生だが)自分を入れて全部で5人だった。
そのうちの2人とは既に面識があった。一人はシドニーからクライストチャーチに向かう飛行機の中で、偶然となりに座っていた渋谷系だが礼儀正しいお兄さんTI、もう一人はQT空港で会ったちょっと天然系のTNだ。
…
QTでの生活はカルチャーショックの連続だった。それは、もちろんQTの人々からうけるものもあれば、QTに暮らす日本人からうけるものもあった。
NZの人はのんびりとして穏やか、一見ルーズにも思える。しかし、彼らは、人生にとって大切なものを見極め(NZの人々にとって、それは、家族であり友人であり、そして自分で考えて行動する自由である)、しっかりと守って生きている。
そして、NZに暮らす日本人は、さまざまなバックグラウンドがあるにしろ、普通の日本人が当たり前だと思っている、学校に行って、就職して、決まった時間に会社に行って、…という生き方から離れ、不便な異国の地で一生懸命生きていた。
もし、私がここに留学していなければ、日本人のベースとなっている日本の常識というものは、常識でもなんでもなく、自分の人生は誰の責任でもなく、あらゆる選択肢の中から自分の責任で決めるものなのだ、と言うことに気付かなかったかもしれない。
さてさて、明日の朝は早い。感傷にひたってないで、さっさと晩御飯にしよう。
NZで食べるべきは、ラムとシーフード。QTではラムを食べると決めている。NZのラムは日本で食べるラムとは別物だ。
そこで、いきなりラムのひれステーキ。濃厚なNZの赤ワインと合わせる。うむ、噛み応えあり。これはさすがに羊だ。
8時近くなるとさすがに日が傾き、夕暮れの気配がただよってくる。
メインストリートのThe Mallは、夜はこれから、という雰囲気だが、私は宿に戻って早々に寝る。
(次回に続く)
参考
- DOC
- トレッキングルートの情報、山小屋の予約
- KiwiDiscovery
- クイーンズタウン周辺のツアー、バス
- Outside Sports
- アウトドアスポーツのショップ
赤星山もおといこさんも地元で親しまれている山のようですね。調べてみたら行ってみた…