堆肥にまみれ、震災直後を思う~陸前高田ボランティア(2)

1/26 遠野~陸前高田(農耕支援)~遠野

前回の続き)

遠野を出発今日も7時半に遠野の金太郎ハウスを出発し陸前高田に向かう。冬型の気圧配置で吹雪、気温-11℃。それでもみんなは元気よくバスに乗る。


コイン精米機

住田のコンビニで休憩。コンビニの前に東京では見かけないコイン精米機が。「米糠はご自由にお持ち帰り下さい」がミソだな。

高田松原、奇跡の一本松があったところ

陸前高田市に入った。ここはかつて高田松原なる風光明媚な松林があった海岸。そして津波に襲われながらも、奇跡的に一本の松の木が残った。その「奇跡の一本松」がここにあった。奇跡の一本松は立ち枯れてしまったために昨年、伐採されてしまった(伐採前の写真)。

陸前高田中心部の風景

バスは海岸に沿って市内を北上する。忘れもしない、この道は一昨年の6月、初めて陸前高田に入ったときに通った道だ(「災害ボランティア参加」)。津波に破壊されたマンションや、水没した球場が当時のまま残っている。しかし、道路の両側に見上げるほどの壁のようにつまれた瓦礫はすっかりなくなっていて、市の中心部がよく見渡せる。巨人がつかんで放り投げたように転がっていた高架道路も片付けられていた。当時の現実とは思えない光景はもうそこにはなかった。あるいは私がこの風景を見慣れてしまったのだろうか?

陸前高田で農耕支援

最初に来たときに瓦礫撤去した場所のすぐ近くでバスはとまった。今日はここで農耕支援。住宅地だった場所だが、建築規制がかかっていて建物は建てられない、さりとて荒地のままほっておくのも心が痛い。そこで、地域の方の交流の場として農地として整備しようとしている。堆肥の山を崩し、一輪車に載せて畑に運ぶ。これを延々と繰り返す…。堆肥で長靴はドロドロ、においもすごい、かなりハードな作業だ。

しかし、私が初めて瓦礫撤去をしたときは、このあたりは倒壊した建物と潰れた車、そして真っ黒なヘドロが地面を覆い、周囲には腐臭が立ち込めていた。そして防臭マスクをし、ヘドロにまみれながら、倒壊した建物の釘だらけの瓦礫を片付けた。堆肥にまみれながらそんな以前の記憶が生々しく甦った。その頃に比べれば、周囲の住宅の補修は進み、住民の皆さんも帰ってきて復興が実感できる。少しなりとも力になれたことがうれしい。

陸前高田の沖

手を休めて海を眺める。沖には規則正しく牡蠣棚が並ぶ。前回来たとき(「陸前高田で種まき」)との大きな違いだ。でもなんか雲行きが怪しいな…。

大船渡線のレール

やっぱり雪が降ってきた。後半は雪の降りしきる中の作業になる。農地の横に途切れた線路があった。かつては陸前高田市を横切るように走っていた大船渡線だ。今は線路は途切れ途切れ、駅舎は跡形もない。

鮭の養殖場

作業を終えて遠野へ帰る。途中、鮭の養殖場に立ち寄る。KSVNで津波の後、放置されていた養殖池を掃除するお手伝いをしたそうだ。今回のメンバーの中にもその作業に加わった人たちがいて、池の中を泳ぐ鮭の稚魚を見て感無量の様子だ。

雪の金太郎ハウス

金太郎ハウスに戻り、吹雪の中、すぐさま飲みに懇親に出かける。60回もボランティアバスに乗ったというリーダーにお供し、復興活動についてたくさんの話をうかがった。

次回に続く)

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