陸前高田で種まき~遠野まごころネットその5(2)

5/12 遠野~陸前高田~遠野

前回の続き)

1205121ボランティア・まごころネット求人票掲示板に張られる求人票を毎日チェックする。花壇整備や公民館の引越し、保育園の建設予定地の清掃、支援物資の仕分け、漁師さんの手伝いなど内容は多岐にわたる。そこに陸前高田でのひまわりの種蒔きがあった。すぐに求人票に名前を書き込む。陸前高田の求人はほとんどなく、もう行けないかと思っていたが千載一隅のチャンス。


1205121ボランティア・陸前高田に向かう、川の駅よこたおよそ一年前、私が始めて足を踏み入れた被災地、破壊の凄まじさに衝撃をうけた陸前高田に向かう。途中、いつものように川の駅よこたで休憩。今日も手がかじかむほどの冷たい風が吹いている。しかし、花壇には色とりどりの花が咲く。


1205121ボランティア・たねっこまくべえ会いん陸前高田下矢作の現場に到着。今日の作業は「たねっこまくべえ会」だ。福岡のNGOと地元の方々が主催、そこに地元高校生や保育園児、九州大学の学生、そして我らまごころネット5名などが参加し、総勢百余名でひまわりのたねっこを蒔く。開会式が行われ、種の蒔き方の説明を受けるが良くわからず立ち尽くす。それなのに、地元のおかあちゃんたちは分からないままに、勝手に蒔き始める。すごいバイタリティ。


1205121ボランティア・広い土地にみんなで向日葵の種をまく

広い土地にひたすら種を蒔きつづける。種を蒔きながら隣のおかあちゃんとたわいもない世間話をしたり、震災のその時の話を聞いたりする。時々突風が吹いて、みんなの帽子が一斉に飛ばされ、畑を転がってゆく…

私は最初に陸前高田に来たときにこの場所をバスの中から見ている。ここは山を間にはさんで海とは4km以上離れている。しかし、川を遡ってきた津波に襲われ、田んぼだったこの場所は、地面が見えないほど家屋の残骸や潰れた自動車に覆われていた。現在ではすっかりガレキは撤去されているが、土には塩が残り、ヘドロや海砂、ガラスの破片が混ざって、そのままでは耕作ができない。そこで土壌改良をすると同時に、地元の方々に明るい気持になってもらうために、ひまわりの種を蒔く。

120512ボランティア・ちゃんと育ちますように被災地では花壇やひまわり、菜の花の畑など、花があちこちで植えられている。でも、実を言えばその効果に疑問を持っていた。しかし、参加された地元の方々と話をしていると、みんなきれいな花が咲くのをとても楽しみにしていることが分かった。
立派に育って、大きな花をつけますように。


120512ボランティア・菜の花畑でお昼ご飯

菜の花畑の真ん中でみんなでお昼ご飯。和やかで穏やかな春の日。ここでこうしていると、この場所が津波に襲われ、多くの方が亡くなり、自分がその復興のお手伝いに来ていることを忘れてしまう。

120512ボランティア・作業の後の交流会午後の作業が終わり、公民館でのボランティアと地元の方々の交流会にお招き頂いた。おかあちゃんたちが腕によりをかけて作った料理をご馳走になる。うまい、しどけのおひたしもあるぞ。うまいじゃないか。
 おかあちゃんたちやボランティアの九州大学の学生達と話をする。「仕事があるのに週末ボランティアに来て働くなんて、チョー尊敬でカッコいいんですけど」と言ってくれる。いや、九州からバスで25時間かけてきた君のほうがかっこいいよ。


120512ボランティア・陸前高田一本松を遠くにのぞむ

3時に途中で失礼して遠野へ帰る。遠くに奇跡の一本松をのぞむ。もう再生は期待できないらしい。残念だ。散らばっていたガレキはすっかり運び去られ、震災の傷跡は見えにくくなった。そしてかえって風景はのっぺりと空虚になった。

120512ボランティア・陸前高田のガレキ

被災地で必ず見られる風景。ガレキが片付けられてできた荒涼とした原っぱと、その集められたガレキの山。

120512ボランティア・陸前高田中心部

陸前高田市中心部方向。海のように見える水面は、地震により沈降した地に先日の豪雨の雨水がたまってできた。ここも空虚な空間が広がる。復興?いや、まだマイナス100が限りなくゼロに近づいている状態。

120511ボランティア・農村の春

車は陸前高田市を後にし、隣接する住田町に入る。のどかな農村が広がる。春の里って本当にきれいだな。

120512ボランティア・水光園で入浴遠野に戻って、ボランティアのためのお風呂&食事ツアーに参加する。思えば毎回参加している。やっぱり仮設シャワーだけじゃなくて水光園の広いお風呂に入りたい。


120511ボランティア・伝承園での夕食そして伝承園で郷土料理を頂く。ご飯とひっつみはお代わり可。どぶろくも地ビールもうまい。


今日は久しぶりに陸前高田を訪問できて本当によかった。地元の方々や他のボランティアといろいろ話をすることができた。

陸前高田にはいくつものNGO、ボランティア団体が入っているが、担当する地区が細分化され、それぞれの交流はほとんどないらしい。また、同じ陸前高田市内でも地区ごとに交流がなく、まるで違う自治体のようなところもあるらしい。情報を交換したり、人をまとめて作業に投入することが復興を加速すると思うが実にもったいない。しかし、これから交流の取り組みも徐々に始まるようだ。本格的な復興を控えて、その取り組みが実を結ぶことを願い、支援してゆきたい。

次回に続く)

コメントはお気軽にどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です