箱崎で漁師さんとお掃除~遠野まごころネットその5(3)

5/13 遠野~釜石市箱崎~遠野~東京

前回の続き)

120513ボランティア・浄化センターの朝

明け方には強い風が地鳴りのような音を立てていた。しかし、夜が明ければ、真っ青な空にぽっかりと白い雲が浮かぶ穏やかな天気。昨日までは曇り時々雨時々晴れ、みたいなはっきりしない天気だったが、今日はいい天気になること間違いなし。

朝礼に参加し今日も注意事項を聞く。それにしても人が少ないな…去年はまるで全校集会のようにびっちり並んで朝礼をやったのに。

120513ボランティア・よく見る味噌パン味噌パン。例えるなら固い甘食の味噌味。私の地元にはないが、このあたりではどこでも売っている。ガレキ系のボランティアの作業は体を動かすのでお腹が空く。味噌パンは日持ちがするので、そんなときのためにいつも買って持っている。


120513ボランティア・新日鉄釜石今日は釜石市箱崎地区で漁港の清掃。2月にはガレキを燃やす真っ白い煙を豪快にあげていた新日鉄(「復興への道は険しい」)は、今日はかなり控えめだった。


120513ボランティア・釜石市街津波は釜石市の中心部を襲った。ほとんどの建物の一階部分が廃墟同然になり、いくつかの建物は地震の揺れと津波によって潰れた。修復不可能な建物はほとんど解体撤去され、街はくしの歯が欠けたようにスカスカになっている。


120513ボランティア・釜石市の瓦礫の山建物を解体撤去すれば建物はなくなるが、ガレキは増える。そして仮置き場のガレキの山はどんどん高くなってゆく。ここはパチンコ屋だったそうだが、パチンコ屋は津波で流され、その跡地がガレキの仮置き場になっている。


120513ボランティア・道路に壁のように迫るガレキの山

所によりガレキの山は、壁のように道路に迫っている。

120513ボランティア・根浜地区冨玉姫神社

箱崎が近づいてきた。去年、ガレキ撤去し清掃した根浜の冨玉姫神社だ(「神社を復興の礎に」)。初詣に来てくれた人はいただろうか?

120513ボランティア・箱崎の漁港の清掃

箱崎に到着。漁師さんたちはすでに海岸の掃除を始めていた。挨拶をしていっしょに掃除を始める。東京でも豪雨となった先日の低気圧による強風、高波で大量のゴミが漁港に打ち上げられ、まるで防波堤のような山になっていた。それをひたすらスコップですくって集め、集積場に捨てに行く。3日連続腰曲げ系の作業だ…。そのうえ、今日はとても暑い。

海水の溜まった溝に詰ったゴミを手ですくい上げていたら、じんわりと手が冷たくなってきた。作業用ゴム手袋に穴が空いて、水がしみてきたのだ。ヘドロに手を突っ込んでガラスの破片をあさったり、何本も釘がとび出た角材をつかんだり、去年6月のガレキ撤去から、想定外の使い方に耐えてきた手袋もついにその役目を終えた。

120513ボランティア・箱崎地区

箱崎の市街地。箱崎は変わった。でもこの家の基礎のみ残る景色は半年間ほとんど変わっていない。何が変わったのか?それはこの写真が撮れるようになったことだ。箱崎はいろいろデリケートな問題があり、指定された場所以外の撮影は禁止だった。だから私の以前のブログにも決まった構図の写真しかない。今回は風景であれば原則自由だった。それは、被災地以外で震災の記憶の風化が進むなかで、今なお復興途上の被災地を忘れないで欲しい、伝えて欲しい、との被災した方々の思いが強いためだ。

120513ボランティア・旧箱崎小学校

旧箱崎小学校。津波は小学校の建物の屋上を越え、その後ろの住居を破壊した。また、校舎の窓もサッシごと津波に持っていかれて、ぽっかりと黒い口を空けている。しかし、そのしっかりとした建物自体は破壊を免れたので、今はボランティアの拠点としてお借りしている。

120513ボランティア・旧箱崎小学校の屋上から

小学校の屋上からのパノラマ。半年前の写真と比べて欲しい(「釜石市へ」)。壊れかけた建物が撤去された以外はほとんど何も変わっていない。

昼休みを挟んで午後も清掃の続き。先が見えてきたので漁師さんと話をする。箱崎では津波の第一波はそれほど大きくなく、堤防を越えなかったそうだ。しかし、沖に目をやって、海にいくつもの家がプカプカと浮いているのを見て、ただ事じゃないと思って慌てて逃げたそうだ。その後、泥の壁のような第二波がやってきて3階建ての旧箱崎小学校を完全に飲み込んでしまった。

震災前、箱崎地区の漁協には900名ほどの漁師さんが在籍していた。しかし、震災後、漁を再開しようとしている漁師さんは半分以下で、さらに箱崎から離れた仮設住宅に入居した漁師さんもいて、今日の清掃に参加されたのは20名ほどだった。お話をうかがった漁師さんも、年齢を考えると借金して船を買うことを躊躇せざる得ないとのことだ。今日の清掃で分かったが、漁港を維持するためにはかなりの数の漁師さんが必要だ。現状では港の清掃でさえままならない。岩手県はすべての漁港を復旧すると言っているが、そんなことできるのだろうか?

120513ボランティア・鵜住居小学校のガレキ

自分達も驚くほど港をピカピカに掃除し、漁師さんたちと記念撮影をして箱崎を離れる。途中、バスは鵜住居小学校の横を通る。釜石市は小中学生の犠牲者がほとんどなく「釜石の奇跡」と呼ばれている。特にこの鵜住居小学校と隣接する釜石東中学校は約600人が無事に全員避難した。日頃の防災教育と先生の機転のおかげだと言われている。その奇跡の小学校にも校舎を越えるほどのガレキが積み上がり、校舎には津波で刺さった自動車がそのままになっている。ガレキ処理の県外受け入れがなかなか進まず、ガレキの山は高くなる一方だ。奇跡の小学生たちはこの景色を見て、何を思うのだろう。

120513ボランティア・車中にて遠野に戻り、さっさとシャワーを浴び、駅前のトピアで、土産にかもめの玉子と地酒、米、山菜を買い、さっさと夕食をとる。
夜10時、遠野駅前から東京行きのバスに乗る。陸前高田の酔仙酒造の雪っこをちびちびとやりながら、この3日間を振り返る。今回はたくさんの人の話を聞いたな~。そのまま静かに眠りにつく…といきたいところだが、今日の座席は一番前の真ん中。足がのばせず眠りにくい。う~ん、明日は仕事なのに。



(遠野まごころネットその5・完)

コメントはお気軽にどうぞ

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です