あの日のままの大槌町~遠野まごころネットMission3(2)
10/27 遠野駅~遠野総合福祉センター~大槌町~遠野総合福祉センター
(前回の続き)
この記事には被災地の写真が掲載されています。ボランティアによる被災地の写真撮影は、被災した方々の心情を考慮して原則として禁止されています。しかし、今なお震災の深い傷跡の残る被災地の様子を伝えるために、許可を得て撮影しました。写真を見た方は今一度、何かできることはないか考えてみてください。

いつものように朝礼に参加し、今日は今まで行ったことのない大槌町でのガレキ撤去を希望する。


ここ栗橋には1858年に作られた、現存する日本最古の洋式高炉の跡、橋野高炉跡がある。世界遺産登録を目指しているらしい。
バスは鵜住居川に沿って、海岸に面した大槌町市街に近づいてゆく。雑草の茂る荒地に2階まで窓が抜けた団地が並ぶ。メインストリートに沿い、1階部分が骨だけになった建物や、壁が黒く焼け焦げたビルの合間をぬける。住宅の基礎に埋め尽くされた、まるでローマの遺跡のような平野を進んで行く。明らかに大槌町は建物の取り壊し、ガレキの撤去が遅れている。
作業現場は海まで十数メートルの海岸で、高さ5mほどの防潮堤に囲まれている。防潮堤の階段は巨人が手でひねったかのように捻じ曲がっている。そして、その防潮堤のすぐ内側の陸地には、フェリー並みの巨大な漁船が、これも巨人がぽん、と置いたかのように無造作に転がっていた。
大槌町での撮影はほとんど禁止されている。風景の撮影は海岸のみ許可された。ここは港だが、沈下したために海面と同じ高さになってしまって、もう使い物にならない。右手には防潮堤が写っているが、陸側になぎ倒されている。左手に写っている島はひょっこりひょうたん島のモデルと言われる蓬莱島だ。震災前は歩いて行けたとのことだが、今は船が必要だ。
目の前に広がる非現実的な風景。しかし、海の水は澄み、暖かい陽の光にキラキラと光り、空には鳶が輪を描いていた。
今日はかなりの重労働。震災の日のまま手付かずだった側溝のガレキ撤去と泥だし。まずはぎっしりと詰ったガレキを片っ端から側溝から引きずり出す。次に底に溜まったヘドロをスコップでかき出す。津波のヘドロの腐臭が辺りに漂う。震災の日から手付かずと言うことは、掘っていて何が出てくるか分からないと言うこと。ちょっと緊張しながら真っ黒な泥をすくっていった。
泥をかき出すと、中から側溝の蓋がザクザクでてきた。これがめちゃくちゃ重たい。男2人でかろうじて持ち上がるが、ちょっとでも気を抜くと落として指を潰しそうだ。男4人で側溝から1枚の蓋を持ち上げ、震災前にあったと思われる場所に5分くらいかけて運ぶ。ひたすらこれの繰り返し…

(次回に続く)
赤星山もおといこさんも地元で親しまれている山のようですね。調べてみたら行ってみた…