大槌町の復興の芽~遠野まごころネット4回目(2)
2/10 遠野駅~浄化センター(遠野まごころネット)~大槌町~浄化センター
(前回の続き)
この記事には被災地の写真が掲載されています。ボランティアによる被災地の写真撮影は、被災した方々の心情を考慮して原則として禁止されています。しかし、被災地やボランティアの様子を伝えるために許可を得て撮影しました。被災地は今なお復興の途上であり、たくさんの人々が頑張っていることを心に留めておいて下さい。
5:40に目が覚めた。6時に遠野駅に到着のはずだが、6時を過ぎてもまだバスは走る。寝過ごしたかと思ったが、どうも雪のため到着が遅れているらしい。気を取り直してサンドウィッチを食べる。
![120210遠野ボランティア・早朝の遠野駅](https://blog.geotrek.info/files/tono-120210-1.jpg)
![120210遠野ボランティア・まごころの拠点は浄化センターに移った](https://blog.geotrek.info/files/tono-120210-1-2.jpg)
雪の中で朝礼。ボランティアが少ないので作業の分担もサクサク進み、15分ほどで終了。いつものようにバスに乗り被災地に向かう。今日は11月に側溝の泥だしをした大槌町だ。
車窓から見る大槌町は3ヶ月前と何も変わっていないように見えた。見渡す限り土台だけの家で埋め尽くされた平野、焼け焦げたビルが建ち並ぶ街…
午前中の作業は海岸の土手の清掃。この土手は通りに面しているので、ガレキやゴミを片付けてきれいにする。ここには水産加工場があったが今は跡形もない。しかし、例え跡地でも、きれいになっていれば、この跡地を見た人の気持は多少は癒されるだろう。風が弱く日差しも暖か(と言っても気温0度)で作業がはかどる。
後ろの堤防は津波を防ぐために建築されたものだ。この堤防の門を閉めるために、多くの消防団の隊員の命が奪われたことはよく知られている。津波はこの堤防を越え、ある場所では堤防を破壊し市街地を襲った。
一見すると以前と変わらぬ荒涼とした風景だが、よくよく見れば復興への芽吹きを見つけることができる。津波で荒野と化した市街地の真ん中に、真新しいバス停があった。人々の営みが徐々にではあるが、戻りつつある。
バス停のそばには、遊覧船「はまゆり」が乗っていた民宿がある。マスコミで盛んに報じられたこの船も、解体され屋根から下ろされた。
![120210遠野ボランティア・大槌復興食堂](https://blog.geotrek.info/files/tono-120210-1-8.jpg)
![120210遠野ボランティア・復興食堂がっつらどん](https://blog.geotrek.info/files/tono-120210-1-7.jpg)
午後は午前に作業をした土手の近くの民家の花壇の清掃。その花壇は家主さんが、津波に洗われヘドロに覆われた土地に花が咲いているのを見て、家が流された跡地に作られたものだ。作業の前に隊長がこういった背景を説明する。我々はただ機械的にガレキをどけたり、ヘドロをすくったりするのではなく、こういった家主さんの気持に応えるにはどうしたらいいか、一人一人考えながら作業をする。
花壇のまわりにはガレキや大きな石が転がっていたので、それを片付けた。土が凍っていて小さな石をどかすにも苦労したが、春にはきれいな花が咲き並ぶことを願って一所懸命片付けた。荒地の真ん中の小さな花壇、それでも小さなことでも一つ一つ新しいことをやって行こう、という被災した方々の前向きな思いに頭が下がる。
![120210遠野ボランティア・車窓から大槌](https://blog.geotrek.info/files/tono-120210-1-9.jpg)
5時から宿泊所の清掃を行い、5時20分から全体ミーティング。それが終わればあとは自由時間。拠点が移転してからはじめて来たので、食事など勝手が分からない。とりあえず街に出てみる。
まず、浄水場から歩いて15分ほど、遠野駅の裏手にある銭湯「亀の湯」に行った。洗い場は広いが浴槽は狭く3人くらいしか入れない。早い者勝ちだな、これは。風呂の次は駅のそばのショッピングモール「トピア」へ。スーパーや産直が入っている。明日の昼食を買う。ここで、今や幻の銘酒となった、酔仙酒造の「雪っこ」の缶を発見。ためらわずに買う。そして、夕食は駅前の食堂「うめのや」でカツカレーを食べた。
ツルツル滑る雪道を浄化センターに戻る。買ったばかりの雪っこで一杯やって、シュラフにもぐりこんで寝る。今日も学ぶことの多い一日だった。
(次回に続く)
赤星山もおといこさんも地元で親しまれている山のようですね。調べてみたら行ってみた…