震災の記憶とはなんだろう(1)

東日本大震災から10年。

震災の記憶が風化しているという。
でも、そもそも震災の記憶とは何だろうか?
個人的な記憶を思い起こしてみる。

2011年3月11日、自分の認識では午後2時45分くらい。
いつものようにオフィスでPCをぱちぱち仕事をしていると、縦揺れからしばらくして、波のような横揺れが襲ってきた。慌てて机の下に隠れる。
縦揺れと横揺れの間隔が離れているのに、大きな横揺れ。大地震だと思いながら机の下でじっと息をひそめた。
揺れは大きく長く、オフィスが歪んでいるように見えた。そして、明かりが消えた。

揺れがおさまり机の下から這い出す。停電で部屋の明かりは消えてたが、幸いにもOA機器にはバックアップの電気が来ていた。慌てて、知人に無事を訪ねるメールと、予定していた明日の蔵王の山スキーは中止にする旨のメールを送った。
ネットでニュースを確認するも、第一報は、巨大地震だが状況が不明とのことだった。そのネットも3時にはつながらなくなった。

廊下は停電で真っ暗。トイレも流れない。ちょうどこの日は、事業部長も事業部長代理も出張中で指揮命令系統がマヒ。日頃の避難訓練は全く役に立たず。
阪神大震災の時には橋が封鎖されたと聞いた。橋が封鎖されると家に帰れなくなるので、直属上司に一言告げて帰宅した。外は小雪が舞っていた。

職場から家まではおよそ20km。道すがら建物を見てみると、一見特に被害はないように見えたが、よくよく見れば壁にヒビが入っている家もあった。
鉄道など交通がマヒしていたので、都心から郊外に向かう道路は、どこも大渋滞。だが、逆に都心に向かうバスは走っていて、10km歩くだけで、バスに乗り日が暮れる前に家に帰りつくことができた。
家に帰れば、ブラウン管の重量級テレビが半分テレビ台からずり落ちていた。家具転倒防止のつっかえ棒は、半分くらいはずれていた。しかし、幸いにも実質的な被害はなかった。

電話もネットもつながらない状態で、テレビで繰り返し流される津波の映像を見ていた。が、テレビを見ていてもどうしようもない、そう思って、晩御飯にカレーを作った。

これが、私にとっての震災当日の記憶だ。
おそらく、被災地をのぞく東日本に住む人は、縁者が被災地に住んでいるのではない限り、似たり寄ったりの記憶なのではないだろうか。
もちろん、私の知人のように、ハイヒールで50km歩いて帰った、とか、会社に2泊した、という程度の差はあるだろう。
西日本に住む人にとっては、単にテレビの中の出来事だったかもしれない。

「記憶」と言っても、ほとんどの日本人にとって命にかかわるような出来事ではなかった。ちょっと大きな地震と、テレビで見た大きな被害、それがほとんどのような気がする。

次回に続く)

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