ウルグアイ入国、世界遺産コロニア・デル・サクラメント~南米・パタゴニアの旅(23)
1/8 ブエノスアイレス(レコレータ墓地)~ウルグアイ、コロニア・デル・サクラメント~ブエノスアイレス
(前回の続き)
高速フェリーで1時間、ウルグアイのコロニア・デル・サクラメント(Colonia del Sacramento)に到着。ロビーの観光案内所で街の地図をもらい、両替所でアルゼンチンペソをウルグアイペソに変える。ついでに切符売り場で帰りのフェリーをもっと早い時間に変えてもらおうと思ったが、日帰りの往復切符の変更はできないとのことだった(ここも英語通じず)。
フェリー乗り場から外に出ると、そこはブエノスアイレスとは全く違うゆったりとした時間が流れていた。夏の強い日差しをさえぎる、青々と茂る並木、そして石畳の道路。交通量も少なくひっそりとしている。なぜかタイの田舎町を思い出してしまった。
港から歩いて十分くらいで旧市街の入り口の城門にやって来た。この街並みが世界遺産「コロニア・デル・サクラメント」だ。1680年にポルトガルが街を建設して以来、ポルトガル領になったりスペイン領になったりして、古いポルトガル様式の建物と、スペイン様式の建物が混在している。城門の左手に例の世界遺産プレートがある。
真っ先にすることは食事。いつの間にか2時をまわっている。世界遺産の街並みの中にあるオープンカフェ。なかなか味があるね。ここでウルグアイ式ステーキバーガーを食べる。卵やチーズ、レタスにステーキがパンにはさんである。これで180U$。ちょっと高い…
街に入って一番に目についた灯台に行く。1857年に建てられたとあるが、本当かな?やけに白くてきれいだぞ。手前の石垣にはくぼみ(銃を撃つ穴?)がいくつもあって、そこにツバメやハトが巣を作っていた。
入り口で25U$払って狭い螺旋階段を上る。最上段まで上がると目の前に360度の景色が広がる。北は緑濃きコロニアの街並みを見下ろし、南には海、じゃなかった、海と見まがうばかりに雄大なラプラタ川が広がり、その向こうには小さくポチポチとブエノスアイレスのビルが見える。朝は雨が降っていたのに、とてもいい天気。よかった、よかった。暑いけど。
あてもなく街をぶらぶらする。石畳の道に石造りの建物がならぶ。観光客はそれなりにいるが、でも静かでのんびりしている。のんびりに不似合いなこの人はなんでしょう?
街は花盛り。街路には石楠花が植えられている。私の石楠花のイメージは奥秩父や新潟の山で行く手を阻むこい~藪なのだが、ここの石楠花はリゾートの花になっている。
世界遺産、コロニアル・デル・サクラメント。確かに街はおしゃれで美しい。でも、なんて小さな世界遺産だ。2時間ほどでほぼ歩きつくした。フェリーは11時半、今は4時半。どうしたらいいんだ。しかたがないので、マヨール広場に面したカフェでコーラを一本頼み、本を読みながら1時間粘った。そのあとはマヨール広場の石垣の上で空を見ながらゴロゴロして時間をつぶした。
街路には紫陽花も多い。真夏の紫陽花。
広場でゴロゴロするにも限度があるので、とにかく街の端まで行ってみる。ヨットハーバーにでた。泳いでいる人もいて、この強い日差しの下で気持良さそうだ。釣りをしている人もいる。でも私はすることがない。
教会の横のベンチで本を読んでいた。芝生に寝転んでいたおじさんがムックリと起き上がって、私の隣に座っているご婦人に”Senora, que hora es?”とたずねる。ご婦人はぶっきらぼうに”Ocho”と答える。Ocho? 8時だと?私の時計は7時だぞ…ブエノスアイレスと1時間の時差があるのをすっかり忘れていた。危ない。
あわてて本を閉じ、日差しが傾いた街でレストランを探す。
食事も済ませ、最後に城門から夕焼けを眺めて街を後にする。は~っ、やっと1日が終わる。
無事に23時半出港のフェリーに乗り、23時半にブエノスアイレスに帰着。
深夜にもかかわらず人通りがあったので、港からフロリダ通りまで歩いて戻った。喉も渇いたしお腹もちょっと減ったので、カフェでビールを飲みながらナッツとポテトをつまみ、1人で旅の終わりに乾杯した。いい気分でホテルに向かう途中、黒山の人だかり発見。そしてそこにはいけてるお姉さん達が。なんだ?どうもテレビのロケらしい。
参考
- コロニア・デル・サクラメントへのフェリー
- 高速と通常の2種類ある。高速は所要時間1時間で往復314U$だった。ただし、曜日によって値段が変わる。
- ウルグアイペソ・U$
- コロニアのフェリー乗り場で150A$を650U$くらいで両替した。旧市街ではアルゼンチンペソも使えるが、レートはフェリー乗り場の両替所より悪いように思う。
(次回に続く)
赤星山もおといこさんも地元で親しまれている山のようですね。調べてみたら行ってみた…