エビータの墓参り、レコレータ墓地~南米・パタゴニアの旅(22)
1/8 ブエノスアイレス(レコレータ墓地)~ウルグアイ、コロニア・デル・サクラメント~ブエノスアイレス
(前回の続き)
日程の不確実な旅では、帰国のために出国する街で、1日滞在することにしている。1日どこかで遅れても帰国できるようにだ。ここまで日程だけは順調にこなしたので、この1日が余った。
今回の旅はバスの移動が長く、暇だったので地球の歩き方をボロボロになるまで読んだ。うかつにもそれで初めて気付いたが、ブエノスアイレスから隣国、ウルグアイがとても近い。そこで、今日はウルグアイに日帰り旅行に行く。
肝心の切符は朝いちは売り切れで、行きは12時出港、帰りは23時半出港となった。どちらも厳しい時間だ…
出港までの時間をエビータの墓参りで潰すことにする。エビータの墓のあるレコレータ墓地(Cementerios Recoleta)はここから歩いて行けるはずだ。交通量の多い騒々しい表通りをしばらく行くが、ちょっと裏通りに入ってみる。そこは並木の美しい落ち着いた通りだった。
20分ほど歩くと広場にぶつかり、道が分からなくなる。が、白い特徴的な建物発見!聖母ピラール聖堂(Basilica Menor de Nuestra Senora de Pilar)だ。1732年に完成した建物だが、真っ白できれいだ。まさにNuestra Senora(聖母)の名にふさわしい。
聖母ピラール聖堂のすぐ左にレコレータ墓地の入り口がある。1882年に開設されたこの墓地には、歴代大統領や、軍人、芸術家といったブエノスアイレスの最上流階級の人々が眠っている。
入り口から中をのぞくと…たくさんの彫像が見え、博物館か美術館のようだ。
門をくぐってすぐのところに墓地の見取り図がある。縦横150mの墓地には碁盤のように縦横に通路があり、その両側に墓が建ち並ぶ。エビータの墓の大体の位置を記憶して歩き出す。
猫がうじゃうじゃいる。どこでもそうなのかも知れないが、お年寄りが餌付けしているようだ。それにしてもこいつは何をみているのだろうか。
同じような墓が並び、通路もどれも同じに見えてきて、エビータの墓がどこだか分からなくなった。しかたなく、通路を一本一本しらみつぶしに歩いて探す。
あった!見つかれば分かりやすい。なぜなら、この墓だけ新しい花がたくさん手向けられているからだ。
エビータ(1919-1952)はファン・ペロン大統領夫人、エバ・ペロンの愛称。貧しい私生児から大統領夫人になったシンデレラ的女性で、労働者の生活改善や参政権の拡大などに力をいれ、
多くの国民から慕われていた。一方で、大統領夫人というだけの立場で政治的な力をふるい、半強制的な寄付金の徴収行い、その寄付金の横領の疑惑など批判の多い女性でもある。
いつまでも花の絶えることのない墓もあれば、省みられず草が生えるにまかされている墓もある。
う~ん、一つ一つの墓には趣深いものがあるのだが、こうして見ると、ただ見えを張り合って目立つもの、奇抜なものを並べているだけのようにも見える。
レコレータ墓地でだいぶ長居をしてしまったので、早足に港に戻る。途中、サンマルティン広場で、アルゼンチンの国旗をはさんで衛兵が立っているのを見つけた。マルビナス戦争記念碑だった。マルビナス戦争とは我々の言うフォークランド紛争のことだ。アルゼンチンは今でもフォークランド諸島の領有を主張している。それはそうと、いつかフォークランド諸島も行ってみたいものだ。3種類のペンギンの営巣地がある。
イミグレには2人の女性が座っていて、手前の女性にパスポートを渡すと、アルゼンチンの出国スタンプを押して、奥の女性に手渡す。するとその女性はウルグアイの入国スタンプを押して私に返してくれる。これで完了。合理的だ。
ここでアクシデント。フェリーから下りてきたおばあさんが崩れるように突然倒れた。すると大勢の乗客が駆けつけて、おばあさんを抱き起こしたり、荷物を持ってあげたりしていた。アルゼンチンは経済危機で人々に余裕がなくなったというが、果たして東京でもこうやってみんなで助けてくれるだろうか。
ウルグアイに向けて出発進行!
(次回に続く)
赤星山もおといこさんも地元で親しまれている山のようですね。調べてみたら行ってみた…