クスコ散策~ペルーの旅(12)
5/2 クスコ(クスコ市街、サクサイワマン、ケンコー、タンボ・マチャイ)
(前回の続き)
ホテルの簡素なブレックファーストを済ませて外へ。空は青く、日射しは痛い。しかし、フリースを着ていても少し寒い。
今日は午前中は、適当に街歩き、午後は郊外のツアーに参加。
まずは、インカ帝国の象徴、太陽の神殿へ。
ぴっちり敷き詰められた石畳の道を歩いていくと、やはりぴっちり組み上げられた石組の壁が現れる。これが紙さえ差し込む隙間もないと言われ、るインカ帝国の太陽の神殿をかこむ石組だ。
サント・ドミンゴ教会。16世紀にやってきたスペインからの侵略者は、太陽の神殿の黄金を略奪し、神殿を破壊し、その跡地にサント・ドミンゴ教会を築いた。太陽の神殿は、土台の石組を残してほぼ失われている。
インカの神がキリストに負けた。
教会の内部。
中庭。いかにも教会らしい。
日陰と日なたの照度の差が激しく、露出を決めるのが難しい。
バルコニーより街を眺める。
空が深い青。日が当たっていると暑いが、日陰は寒い。風は冷たく乾燥している。喉が少し痛い。さすが3000mを超える高地だ。
サント・ドミンゴ教会は、クスコ観光の目玉の一つ。ツアー客が多い。
太陽の神殿の石組の一部。皇帝の玉座だったとの説。
かつては金で作られたこのような調度品が無数にあったそうだ。すべて鋳つぶされてスペインに運ばれた。
外に出て再び太陽の神殿の土台の石組をみる。何度見てもすごいな。
とりあえず街の中心、アルマス広場にやってきた。次はどこへ行こうか、、、パラパラとガイドブックをめくって、近くにあるパワースポット?「12角の石」に決めた。
市街地には、マス目のように縦横に石畳の道が走っている。そして、車は軌道バスのような狭い溝の中を、ガタガタと音をたてながら走っている。
「12角の石」はインカの石組みのなかの1つの石。見つかるか?と思っていたがあっけなく見つかった。石の周りには多くの観光客がいて、離れたところからでもすぐ場所が分かる。
石の前には職員らしき人がいて、触ろうとすると怒られる。
近くには、さらに「14角の石」というのもあるらしいが、こちらは探したけれど見つからなかった。
さて、まだ時間があるので博物館めぐりでもするか。
まず、12角の石から近いプレコロンビーノ博物館の広場で一休み。ベンチに座って水を飲んでいると、ジモティーっぽい青年が話しかけてくる。何かと思えば、髭剃りの路上販売だった。そういえば日本をでてから髭を剃っていない。ペルー人にもこの風貌はむさくるしいのだろう。相棒と顔を見合わせながら笑ってしまった。
プレコロンビーノ博物館には、インカ、プレインカの土器や装飾品が展示されている。
これは金のイヤリング。よくよく見てみると、耳にあけた穴に通して、パッチンとやる金具まで金で精巧につくられている。すごいな。
動物をモチーフにした土器や陶器が多い。
この感性は日本の文化にはないな...
中庭には黙々と機を織る人。
次は、インカ博物館。入口が分かりにくくて通り過ぎてしまった。
インカの皇帝がお出迎え。
この博物館にはプレインカ時代から植民地時代まで生活用品や、美術品、ペルーに住む民族の暮らしなどが展示されている。ペルーを知るうえでとても勉強になる。
博物館をめぐって印象深かったのは、処刑されるインカ皇帝の絵だった。
スペインの侵略者ピサロは、停戦交渉の席でインカ皇帝・アタワルパを拘束し、身代金として部屋いっぱいの黄金を要求した。これだけでも、汚いやりかたなのに、ピサロは身代金を受け取ったにもかかわらず、アタワルパを強制的にキリスト教に改宗させたうえで、絞首刑としてしまった。ここで1533年、インカ帝国は滅亡することになる。
侵略者にとってはこれはキリスト教の勝利だったのだろう。十字架を持ちながら首を切られるアタワルパの絵がたくさん残されている。
高台から街の中心部を眺める。世界では大航海時代、日本では戦国時代、そのころまでここはインカ帝国の都だった。スペインに侵略される前は、どんな景色が広がっていたのだろうか。
(次回に続く)
赤星山もおといこさんも地元で親しまれている山のようですね。調べてみたら行ってみた…