どんな年でしたか?

KARAってダンスユニットなの?安室奈美恵 with SUPER MONKEY’Sと比べたらお遊戯じゃん!?などとつまらない突込みを入れながら、久しぶりに紅白を見ている。

去年の今ごろは風邪をひいてプエルト・ナタレスの安宿のベッドでうなされていた。その前の年は、極寒の漠河からヨレヨレになって北京に向かっていた。

今年は初めて海外に行ったとき以来、初めて海外旅行に行かない年になった。それは懐に余裕がなかったのが直接の理由。なぜ余裕がなかったかと言えば、ひとつは勤め先が万年赤字企業から抜け出せず、ボーナスと給料のカットが続くから。そしてもうひとつは、余裕のある分は震災復興支援にだいぶまわしてしまったからだ。

誰がなんと言おうと、今年は震災の年だった。

たくさんの人が頑張っていた。

被災した方々は、悲しみ、生きる辛さをじっとこらえ、耐え、そしてときには笑みを浮かべながら頑張っていた。消防、警察、自衛隊、医療関係者、その他たくさんの人が救助に向かった。自分の身を犠牲にした人もいた。天皇陛下や皇族の方々は、すぐ被災地に向かい、被災者ひとりひとりにお声をかけ励まされた。多くの芸能人やスポーツ選手が支援のために被災地に入って人々に勇気を与えた。被災した自治体の職員は寝る間もなく復旧に当たった。そして、多くの義援金が寄せられ、ボランティアが被災地で汗を流した。世界中から支援の手が差し伸べられた。

人間ってすばらしいと思った。

一方で残念なことも。

とても多くの人が被災した方々を支えるため、日本を復興するために頑張った。しかし、それ以上に多くの人が何もしなかった、あるいは、できなかった。

被災していない地域に住み、被災地を訪れた人の数はたかが知れている。私の周りを見れば明らかだ。まあ、被災地を訪れて応援するのは敷居の高いことかもしれない。

被災地に寄せられた義援金は2000億円強と言われる。この中には台湾からの200億円や孫社長の100億円、ユニクロからの10+14億円など、大口の義援金が含まれている。そういった大口の個人や企業の義援金を除いてしまえば、おそらく国民一人当たりの義援金は数百円くらいじゃないだろうか?ふつうに募金箱に入れる金額と一致しそうだ。

はっきり言って数百円の義援金はチリのようなものだ。気持は尊い。だがほとんど貢献しない。被災した家屋は20万戸以上と言われている。1人数百円払ったところで、ひと部屋にもならない。

私の知り合いに言ったら、余裕がないから、と言っていた。その言葉を被災した方々の前で言えるか聞いてみたかった。肉親を家をすべてを失くし、呆然と立ちすくんでる人の前で。

思うに、日本人の想像する力が弱くなっているのだろう。それで、震災の悲惨さを想像して、自分のものとして感じることができない。人ごとだと思ってしまう。それは普通の人々に限らない。被災地支援そっちのけで政争に明け暮れる政治家や、利権を守ろうとする官僚や財界、電力会社も同じだ。

サンデル教授が、困っている身近な人を助けたいと思うのに、もっと困っている遠くアフリカの人を助けたいとなかなか思えないのはなぜか?と問うたことがあった。そうすると、多くの日本人にとって、東北の人はアフリカの人と同じなのか…

振り返って自分はどうだったか?

ん~、できることはやった、と自信を持って言うことはやっぱりできない…。でも、3月に最初に決めた、いつも山にかけるお金と時間の半分を支援にまわす、ということはやり遂げたと思う。一種のお茶断ち+資金の捻出だ。それで、今年は山行回数を減らし、ジムにも行かず、海外にも行かず、代わりに義援金を送り、ボランティアに行った。

ボランティアは思った以上にお金がかり、あんまり気楽にできるものじゃない。でも貴重なことをたくさん学び、人生に大きなインパクトのある体験をした。行ってよかった。

さて、今年はあなたにとって、どんな年でしたか?

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