王府井から世界遺産・頤和園へ~中国・東北、漠河の旅(9)
1/1 北京散策(王府井~頤和園)
(前回の続き)

「北京xin茂青年ホテル」は東四十条の通りを一本入った静かな路地にある。地下鉄5号線・張自忠路駅からも近く、安くて清潔でよい。暖房はちょっと弱い。
とりあえず、困ったときの王府井でも行くかと、朝陽門大街を南に真っ直ぐ歩く。王府井は北京を代表する繁華街だ。
王府井へ右に曲がるタイミングをのがし、行き過ぎて長安街に出てしまった。天安門広場や人民大会堂に続くこの道も、今日は1月1日、祭日のためかやや交通量が少ない。
王府井到着。ここはいつものように、賑わっている。朝食を食べる場所を探す。前回、サソリを食べた王府井小吃街はパス。

包子(肉まん)の店だった。包子と粥とおしんこのセットが40元くらい。うまいんだけど、これで40元はちょっと高いな~。

頤和園へ向かう地下鉄で、トンネルの壁にディスプレーがついていた。走っている列車の車内から動画の広告が見れる。
北宮門駅で地下鉄を下りる。頤和園まで地下鉄13号線で行こうと考えていたが、昨年、建設中だった4号線が開通していて、頤和園北宮門のすぐそばまで地下鉄で行くことができた。北京は来るたびに地下鉄が増えている。
地下鉄の出口には、小さい屋台が出ていた。駅やバス停ならどこでも見られる光景だが、中国人は食事の時間でもないのに、こういった屋台でちょっとしたものを買っては食べている。しょっちゅう食べていて、胃がもたれたり、太ったりしないのかな。
北宮門でチケットを買い、客引きをしているガイドを振り払い、門をくぐった。
頤和園の歴史は1750年に清の乾隆帝が造園した庭園から始まる。1860、1900年と外国軍に破壊されるたびに西太后が再建して、彼女は多くの時間をここで過ごしたと言う。1998年、世界遺産に登録された。
北宮門をくぐると、すぐに蘇州街がある。蘇州の町並みを再現したというが、蘇州ってこんなんだったかな…(ここ)。きっと昔の蘇州はこうだったんだろう。
船を浮かべる池は完全に凍結し、子供たちがソリで遊んでいる。
蘇州街を下に見て長橋を渡ると、目の前に万寿山がそびえたつ。その山腹から頂上まで、香岩宗印之閣やチベット仏教式建築の智慧海が、山肌を覆うように築かれている。
階段をどんどん上って行く。通路が複雑に入り組み、分岐し、ちょっとした迷路のようだ。地図をにらみながら、できるだけ多くの道を通ろうと右往左往するがなかなか難しい。
かなり上って振り返る。北京の街並みが一望できる、すばらしい景色だ…と言いたいところだが、空気がもやもやしていて遠くが見えない。
山頂の智慧海のお堂を見て山の南斜面にまわると、頤和園のランドマーク、仏香閣がこれまた急な山腹の途中に建っている。高さ36m、見上げても全体像はよく分からない。
仏香閣から出ると景色が一変する。テラスのようになっていて、眼下に広がる昆明湖が一望できる。誰もがここでしばらく無言で湖を眺める。凍結した湖面が逆光で輝き、湖の上を歩く人々が黒蟻のようだ。
このでかい昆明湖の向こう側まで頤和園だ。でかいな。日が沈むまでに行けるかな?
昆明湖の景色を堪能したあと、巨大な階段を下り仏香閣を後にする。正面の山の上にも、いわくありげな塔が建っている。あれも頤和園だろうか?さすがに違うみたいだ。
巨大階段を下りて仏香閣を振り返るとこんな感じ。壁だ。レンガ?の色がいい。
あちこちに金魚の絵が描かれている。好きらしい。
山の斜面を下りて行くが、右に左にたくさん建物があって、一つ一つ見ていくとぜんぜん前に進まない。が、ついに一番下までやってきた。排雲殿だ。掲げられた額には漢字と清朝の公用文字だった満州文字が記されている。
排雲殿から仏香閣が一直線に並んだ記念写真ポイント。
仏香閣とならぶ頤和園のシンボル、長廊。昆明湖に沿って東西728mの長さがあり、梁には絵巻物のように様々な絵が描かれている。

(次回に続く)
赤星山もおといこさんも地元で親しまれている山のようですね。調べてみたら行ってみた…