モアイ・モアイ・モアイ!~チリの旅(6)
11/14 イースター島
(前回の続き)
昨晩は、洗濯を終えて寝たのは2時近かった。なんとか8時に目が覚め、シャワーを浴びてレストランに向かう。
明るくなって初めて見るイースター島の景色。強い西風でヤシは一常に一方方向にしなっている。そして、雨雲が風に乗ってやってきて、叩きつけるような雨を降らせたかと思えば、2、3分後には晴れ渡っていたりする。
食事を終え、9時半に島をめぐる1日ツアーの送迎バスに乗る。ツアーの参加者は20人弱。ほとんどが陽気なアメリカ人で、盛んに話しかけてくる…が、アメリカ人の英語は苦手である。
車窓に広がるのは、見渡す限りの荒涼とした草地。そこに馬が放牧されている。
元々、イースター島は熱帯雨林におおわれた島だったらしい。そこに人間(モアイを作った人)が移り住んだことにより、熱帯雨林は失われてしまった。さらに、後からやってきた西洋人が羊やらヤギやらを放牧したものだから、森は再生することなく、土壌は流出し、草しか生えない不毛の土地になってしまったとのことだ。
巨大なモアイを何十体も作り出し、重機も使わずに海まで運ぶことができたほどの文明も、自然が失われるとともに失われてしまった。
アイスランドやニュージーランド、フエゴ島などでも全く同じ現象がみられる。人間はどこでも同じようなことをするものだ。
バスが止まった。最初の目的地だ。
「あかはな」と読めるが「アカハンガ」である。
ここにはモアイとかつて島民が暮らしていた住居跡がある。
沢山のモアイがうつぶせに倒されている。これは1700年ころに始まった、フリ・モアイという島内の戦争で倒されたものだ。我々のモアイのイメージは海辺で真っすぐに前を向いて立つモアイだが、ほとんどのモアイはこの戦争によって倒されてしまった。
これは上を向いて倒されている。もっとも、私はうつぶせに倒されたものを、誰かが転がしたのだと思うが。
相変わらず強い風が吹いている。波音も荒く、岸に打ち付けている。海の色は外洋の色、濃紺。
この島から最も近い有人の島まで2000kmある。おそらく10世紀前後、モアイを作った人々の祖先は、ポリネシアからこの西風に背中を押されて、カヤックでこの島にやってきた。陸地にたどり着く当てもなく、長く厳しい旅の果てに、水平線の上にこの島を見つけたときの彼らの気持ちはいかばかりのものであっただろうか。
モアイを踏んではいけません。
ひとしきり散歩をした後、次の目的地、ラノ・ララクに向かう。
モアイ・モアイ・モアイ!数えきれないほどのモアイ。
ラノ・ララクはモアイが生まれるところ。土にモアイの種をまいて水をやると、にょきにょきとモアイが生えてくる。
な~んてことはない。でもモアイが生まれるところ、というのは本当だ。モアイはこの丘の斜面の岩盤から切り出されていた。
作られたものの、海に運ばれることなく放置されたモアイたちは、半ば土に埋もれながら、愚かな人間の歴史を見続けてきた。
また雨が降ってきた。島の半分が晴れで、半分が雨。
風も冷たい。ゴア雨を持ってきてよかった。
けっこうでかい。
モアイにも個性がある。これは丸顔のモアイ。
切り出されようとするモアイ。石器を使って切り出したらしい。どれだけの人数でどれだけの日数がかかったのだろうか。手が痛くなりそうだ。
一通りモアイを見た後はランチ。豚バラ肉のバーベキュー。ただの塩味だが、薪でスモークされた香りと相まって、とてもうまい。
食事の時もアメリカ人に盛んに話しかけられる。必ず聞かれるのが、日本からチリに来るのにどれだけかかったか?である。2晩飛行機で寝たよ、と答えると、必ず「OH—!」という反応が返ってくる。
(次回に続く)
赤星山もおといこさんも地元で親しまれている山のようですね。調べてみたら行ってみた…