忘れられゆく311

一昨年の3月11日は「謝謝台湾Tシャツ」を着て台湾を旅していた(3・11は国外逃亡~台湾の旅)。

去年の3月11日は復活した陸前高田の牡蠣に舌鼓を打っていた(今年の311は…牡蠣)。

そして今年の3月11日。
 いつもどおり仕事をして、いつもどおり夕食に牛丼を食べ、そしていつもどおり学校に通い、いつもどおり深夜に帰ってきてここにいる。

最後にボランティアに行ったのは去年の1月24日だから、もう1年以上被災地の姿も見ていない(忘れちゃいない、東北へ行ってきます。)。

 震災から半年ほどして被災地に行ったときに、半年を経ても緊迫感に包まれる被災地と、何事もなかったような日常生活をおくるこちら(東京)とのギャップに強い違和感を感じた(釜石市へ~遠野まごころネット再び)。

今でも海を見るたびに、初めて陸前高田に行ったときのことを思い出す。見上げるほどの瓦礫の山、引きちぎられたバス、押し流された高架道路、3階までの窓がすべて抜けたマンション、大地を覆う強烈な悪臭を放つ炭のようなヘドロ、行方不明者を捜索する自衛隊のヘリ、泥に埋もれた人形…
 しかし、今の普段の生活の中に震災の面影はない。今は私もすっかりこちらの人になってしまったようだ。

防波堤の高さについてテレビで喧々諤々の議論をしている人たちを見ると、もう私の出番はないような気もする。それとも何かまだすべきことはあるだろうか?

ただ、いつか被災地が復興したとき、私がボランティアで訪ねた気仙沼から陸前高田、大槌、釜石を自転車で旅したいと思っている。
 少なくともそれまでは、忘れちゃいけないかな。

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