神社を復興の礎に~遠野まごころネットMission3(4)
10/29 遠野総合福祉センター~釜石市~遠野総合福祉センター
(前回の続き)
この記事には被災地の写真が掲載されています。ボランティアによる被災地の写真撮影は、被災した方々の心情を考慮して原則として禁止されています。しかし、今なお震災の深い傷跡の残る被災地の様子を伝えるために、許可を得て撮影しました。写真を見た方は今一度、何かできることはないか考えてみてください。
朝礼では、各団体、そして個人参加者と集まってならぶのだが、土曜日なのに個人参加者は3列しかない…以前は200人近い参加者の半分くらいいたのに。団体は頑張っているが、個人ボランティアの減り方は著しい。
今日は釜石市箱崎地区のガレキ撤去に向かう。先月からの変化をこの目で確認するために、一度行ったところはどうしても再び訪れたい。
釜石市へ向かう途中、釜石のボランティアセンターで100m以上はあろうかという、人々の長蛇の列を見た。冬物衣料の配布があるとのことだ。被災された方々は1枚の衣料を受け取るために、長い時間ならばなければいけない状況にある。
ガレキを燃やす新日鉄の白い煙が見えると、もう釜石市街地だ。
今日の作業は根浜地区で神社のガレキの撤去。根浜はトライアスロン会場やヨットハーバーがあり、マリンスポーツが盛んで、そのため、たくさんの民宿があった。しかし、現在は写真のとおり、すべて津波で流され何もない。住んでいた方々もすべて他地区に移られ無人となっている。我々が作業する神社の横の水路では、今なお警察が行方不明者の捜索をしていた。
神社は海岸に近いため、社務所は流され、基礎も砂とヘドロに埋もれ、さらにその上には、背丈ほどの雑草がみっしり生い茂っていた。雑草を引っこ抜き、ガレキをどかし、遺跡を掘り当てるかのように基礎をヘドロから掘り出した。
作業を終えて本殿にお参り。ここは平将門により建立されたという伝説があり、竜神、山の神、そして、河童の神が祭ってある。
本殿は標高20mの丘の上に立っていて、ここは津波の避難所にも指定されている。しかし、津波は丘を駆け上がり、本殿も波に洗われた。
作業中に宮司さんがやって来て、震災の日のお話をうかがった。岩手には報道で有名になった「津波てんでんこ」という言葉ある。これは津波がやってきたら、肉親にかまわずとにかくめいめい逃げろ、と言う意味である。しかし、津波てんでんこと言ったって、誰が年老いた親を捨てて逃げれるものか、それで逃げ切れずに犠牲になった若い人がたくさんいた、と宮司さんはおっしゃっていた。
でも車はなくなっていた。
(次回に続く)
赤星山もおといこさんも地元で親しまれている山のようですね。調べてみたら行ってみた…